宮島競走場 今昔 昭和60年代その2〜平成




昭和62年

 西・中央・東の3つスタンドが現在とは異なる頃。








平成元年

 中央スタンドの観客席部分を工事中の頃。
 中央スタンドは、審判室等、業務に必要な5階が
 先に造られました。
 同じ5階のA指定席はまだできていません。
 東スタンドは中央スタンド完成から10年近くたって
 から現在のものになりました。



平成13年8月

 中央スタンド・東スタンドも完成し、西スタンドの
 外装も合わされて、完全な状態になっています。




平成14年6月

 平成13年3月24日の芸予地震から閉鎖されていた
 西スタンドは2階、3階部分を撤去して改装され
 ました。


 


平成27年4月

 西スタンドは平成26年春に解体され、外向発売所
 「PAL BOAT 宮島」が平成27年2月にオープン
 しています。


 


昭和63年10月

 現在より約30m1マーク寄りにあったスリットライン。
 スリットポールにはレース番号などを表示する
 日付板がありました。現在は機械的にスリット
 写真に写し込まれています。(
こちらを参照)
 対岸の電光表示板も現在とは異なるものです。



平成15年9月

 中央スタンド3階より同じあたりを見たところ。







昭和63年7月

 同じくスリットライン付近。



平成15年9月

 中央スタンド3階より同じあたりを見たところ。



平成16年4月

 中央スタンドの1マーク側です。
 大潮の干潮時には大時計台の跡が現れます。


   


昭和60年頃

 スタートの風景。
 スリットラインから1マークまでの消波装置が
 ずいぶん手前にあります。



平成15年9月

 西スタンド(平成26年解体)より同じあたりを
 見たところ。




昭和61年

 当時のペアボート試乗会の様子。
 ボートは競走用ボートを改造したものでした。
 (現在はヤマト発動機製造の立派なものを使用)
 モーターはヤマト102型か202型です。
 奥には古い型の救助艇も見えます。


   


昭和62年10月

 開設33周年記念競走の開会式の直前です。
 スーツ姿に白い帽子をかぶっているのが出場
 選手で、現在とは違った雰囲気です。




平成15年9月

 まわりの建物は当時のままですが、平成10年の
 新鋭王座開催に合わせて
インタビュールーム
 造られました。(平成9年11月完成)
 前検日のモーター抽選等もこの上で行われます。



昭和63年

 中央スタンド建設中の様子。
 手前が当時の東スタンドです。






平成15年9月

 同じ位置からではイベントホールしか写らない
 ため、少し右側からの撮影です。
 左下に写っているのは事務所棟で、左写真は
 この写真に写っているあたりからの撮影と
 思われます。



撮影年不明(平成2〜4年頃)

 中央スタンド完成後です。
 東スタンドは昔のままの状態です。


   


平成11年9月

 平成9年夏まで使用されていた、以前の選手宿舎
 「宮島水交会館」です。(昭和43年12月完成)
 レース場の山側、無料駐車場が分散する中に
 ありました。
 この宿舎が建設されるまでは、一般の旅館を
 借り上げて使用していました。その当時は約半数
 の場しか選手宿舎を持っていなかったようです。
 (現在の選手宿舎は
こちら



平成26年9月

 あまり変わっていないようで、よく見れば周囲も
 結構変化があります。









平成11年9月

 現在は取り壊され、土地も売却されて民家が
 建っています。


   

 


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