宮島競走場 今昔 昭和30年代その1

 日本モーターボート競走会宮島支部に保管されている過去の写真を、
 現在の写真を交えてご紹介いたします。

 ボートレース全般の歴史も
年表編にてご紹介しています。



撮影年不明

 当時のスタート風景。もちろん防波堤はありません。
 3人は審判員で、左はタイム計測、中央はチェッカーフラッグを振り、右は失格板を出す係ではないかと
 思われます。
 大時計は、現在のものとは構造・目盛りが全く異なるもので、針は1分針のみの単針です。



撮影年不明

 国道2号線には「宮島ボートレース」の看板が
 横切っていました。(昭和38年撤去)



平成15年9月

 写真中央奥に見えるのが入場門です。




撮影年不明

 広島電鉄宮島口駅からレース場方向を見た風景。
 上写真の右側にあたります。



平成15年9月

 左写真中央の踏切上から撮影。
 背後の山には家が建ち並んでいます。



撮影年不明

 競走水面より見たスタンド。
 左端の建物が審判室等で、この正面がスリット
 ラインです。



平成11年12月

 立派なスタンドへと生まれ変わっています。





撮影年不明

 現在のフェリー乗り場前民営駐車場からの
 撮影と思われます。
 右半分にスタンドが写っていますが、海になって
 いる右側は、現在は埋め立てられたようです。


   


撮影年不明

 海上からレース場を遠望。
 レース場の後ろは完全に山です。


   


昭和34〜35年頃

 宮島(厳島)を臨む。
 右の海に浮かんでいるのが今も変わらぬフェリー
 桟橋です。

 いったい何艇で走っているのでしょう?
 (“競艇”以外のボートレースなのか、20艇ぐらい
  写っています。)



平成15年9月

 中央スタンド3階より同じ方向を撮影。
 島の形は変わりません。








撮影年不明

 大時計付近です。
 大時計はしまい込まれているのでしょうか。
 奥に見えるスタンドは、民営の有料スタンドです。




平成15年9月

 中央スタンドの1マーク側です。
 右側に見えている西スタンドは平成26年に解体
 され、現在は外向発売所「PAL BOAT 宮島」と
 なっています。



昭和34〜35年頃

 おそらくゴールの様子です。
 チェッカーフラッグを振る審判員が見えます。



平成15年9月

 上写真と同じ位置です。
 大時計の位置は当時とは異なります。



撮影年不明

 大時計付近です。
 右の建物の2階が審判室で、大時計前には
 階段で下りることができました。
 この時代はほとんどがこのような階段を持つ
 構造で、草創期には審判台として階段に複数の
 審判員が座っていたようです。


   


昭和34〜35年頃

 2マークでのレース風景です。
 防波堤がないため、常にこれぐらいの波高で
 あったと思われます。


   

 


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